2016年5月7日土曜日

『すべてがFになる』(森博嗣|1996年)


好きな作家は?と聞かれたとき、真っ先に森博嗣氏の名前を挙げます。数えてみたらこれまでで同氏の著作を80冊読んでいて、これは、他の作家よりもかなり多いです。もっとも、森氏の著作は、シリーズ物の小説をメインに、短編集、ノンシリーズ、新書、エッセイと幅広く、僕の読んだ冊数の倍ぐらいは出版されていると思うので、ファンではあるけれど、マニアではないです。

森氏は、基本的にはミステリィ作家であり、近年の著作こそいわゆる王道ではなくより広義な謎を描いているような気がしますが、初期のシリーズものは押し並べて本格ミステリィです。そういうつもりで書かれていないかもしれませんが、通常の読者にはそう読めます。

『すべてがFになる』は、森氏のデビュー作で、1996年に講談社から出版されました。近年ドラマ化されたので知名度は高いと思います。僕が読んだのは2004年ですが、いまだにこれを超える小説には出会っていない、と言えるかもしれません。それぐらい面白くて、年に1回は読み返しています。

物語の内容はいかにもな典型で、「孤島の研究所に15年間幽閉されている天才科学者」「その研究所で発生する密室殺人事件」「事件の解決に挑む大学の助教授と女子学生」といった感じです。

森氏の作品はよく「理系ミステリィ」と形容され、数学、プログラム、ロボット、実験施設、ヴァーチャルリアリティ等がトリックや装飾に使われることが多いです。これは、森氏自身が国立某大学で工学部助教授だった(デビュー後もしばらく兼業していた模様)ことが影響しており、そうした知識・背景に裏打ちされている分、「とんでも科学」みたいなものではなく、「物語の舞台設定となった年代相応のテクノロジィ」が使用されています。

メインのストーリィ、トリック、プロット等も好きなのですが、僕が何度も読み返す動機となっているのは、登場人物の何気ない会話や平叙文が醸す洗練性です。

例えば、この作品の冒頭、天才科学者と女子学生との会話。

「165に3367をかけるといくつかしら?」女は突然質問する。
「55万……、5555です。5が六つですね」萌絵はすぐ答えた。それから、少し驚く。「どうして、そんな計算を?」
「貴方を試したのよ。計算のできる方だと思ったから……」女は少し微笑んだ。「でも、7のかけ算が不得意のようね。今、最後の桁だけ時間がかかったわ。何故かしら?」

なんてことはないのだけれど、この手のちょっとしたやり取りが場面の空気を際立たせていて、同時に、登場人物の能力あるいは能力差を示唆していたり、全体のストーリィに関連づいていたりと、緻密な計算が感じられて、唸ってしまいまいます。

読書感想文というよりは、森氏や森氏の作品を僕がいかに好きかという話に偏ってしまいましたが、最初の感想文ですし、特に何を書くか決めているわけではないので、その都度思ったことを書いていきます。

以上。

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