2016年5月9日月曜日

『オーデュボンの祈り』(伊坂幸太郎|2000年)


森博嗣氏と京極夏彦氏が龍虎として君臨しているので、好きな作家ベスト3を挙げよ、という質問に答えるのはとても難しいのですが、伊坂幸太郎氏が3人目の候補であることは、確かです。人気作家なので、一般的には、上位2名より知名度が高いかもしれません。

伊坂氏の作品は、推理小説とは呼べない作風・物語が多いですが、ある種の「謎」が提示され、話が進むにつれてその真相が明らかになっていく、という形式も多いので、広義にはミステリィに区分可能でしょう。

氏の作品の魅力は、一般の評判においても、僕自身の認識においても、気が利いて洒落た会話や文章と、張り巡らされた伏線を綺麗に回収する精緻なプロットにあると思います。書籍に載っている著者紹介にも、「洒脱なユーモアと緻密な構成で読む者を唸らせ…」と書かれていますし、読んでいても、そうした巧さに引き込まれることが多いです。

『オーデュボンの祈り』は、氏のデビュー作で、2000年に新潮社より出版されました。「荻島」という外界から隔絶された架空の島を舞台に、現実とファンタジーとの中間のような物語が展開されます。登場するのは、事実と反対のことしか言わない画家、未来を知ることができる喋る案山子、島のルールとして自己判断による殺人を許された男、反吐が出るぐらい悪人の警官など、およそ普通ではない面々。

物語の最大の謎として提示されるのは、未来を知ることができて人間の言葉を操る案山子・優午(ユーゴ)が、何者かに殺されるという事件で、未来が分かるはずなのに何故自分の死を防げなかったのか、どうして身に迫る危険を事前に誰かに伝えなかったのか、が焦点となります。この、御伽噺のようでありつつ現実的でもある世界観も、魅力のひとつです。

ミステリィの様相を呈しているけれど、設定がシュールなので、よくある探偵小説とは異なるロジックで推理が進みます。但し、魔法でも超常現象でも何でもあり、というわけではなく、定められたルールの範囲内で、なぜ、どうやって、どうして、が思考されるので、一種のゲームのようにも感じられます。別の機会に感想文を書く予定ですが、西澤保彦氏の「SF新本格ミステリィ」に近いジャンルかもしれません。もっとも、これ以降の作品は、もう少し現実に近くなるので、この作品が最もファンタジー色が強く、そういう点では、伊坂氏の作品の中でも、特殊な位置にある気がします。

タイトルにもある「オーデュボン」は、実在した画家・鳥類学者のジョン・ジェームズ・オーデュボン(1785~1851年)のことで、リョコウバトという鳥が、オーデュボンとこの物語とを繋いでいます。リョコウバトは、億単位の群れで空を飛ぶとされ、鳥類史上最も多くの数がいたと言われていますが、乱獲によって20世紀初頭に絶滅したそうです。あまりにも数が多かったため、ちょっとぐらい減らしても大丈夫だろうという考えが蔓延し、結果として数十億、数百億というリョコウバトが根絶やしにされました。

この話は、「人間は失わないとことの大きさに気がつかない」ということと、「悪い方向に進む兆候を感じても、簡単にはそれを止められない」ということを示唆するエピソードとして物語の中で紹介されており、そうならないでほしいという「祈り」と、祈ることしかできないという無力さが、重要なテーマにもなっています。少し書きすぎているかもしれませんが、あくまで僕の感想なので、ご容赦ください。

以上。




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