2014年9月23日火曜日

Natural Information 6:55 p.m.

帰り道のことだ。

電車を降り、改札を通り、自宅へ向かうべく駅の敷地から出たところで、二度声をかけられた。

一度目は正面に居たティッシュ配りの若い女性で、「どうぞー」という声とともに、ポケットティッシュを手渡してきた。ちょうど鞄に入れておく分を補充したかったので、素直に受け取った。隣駅にあるパチスロ店のチラシが挟まっており、バットマンの絵が大きめに、吉田秀彦の写真が小さめに載っていた。

貰ったティッシュを鞄に仕舞っていると、今度は背後から、「すいません」と声をかけられた。自分に対するものかどうか分からなかったが、取りあえず振り向くと、若い男性がすぐ後ろにいた。そして、「これ、落としましたよ」と言って、黒い色のタバコの箱を差し出してきた。

僕は煙草を吸わないし、過去に吸っていた期間もないし、これから吸い始めるとしてもいきなり箱が黒い品種を選ぶことはないので、「いえ、僕じゃないです」と言って、その場を離れた。途中、一度後方に目を遣ると、若い男性はさっきの場所から動かず、手に持った煙草の箱をじっと見つめて、どうしようかと思案している様子だった。

歩きながら、何故だろう、と考えた。何故あの若い男性は、僕が煙草の箱を落としたと思ったのだろうか。そして、ふと考え付いたのが、"Natural Information"という概念だった。

"Natural Information"とは、「人間が自然と発している情報」のことである。その瞬間に頭に浮かんだ言葉だけれど、既に似たような概念の別の言葉があるかもしれない。要するに、自然体の外見、表情、仕草、動作、雰囲気、佇まいなどから発せられるその者の状態や心情や要望のことで、意図されていないノンバーバル・インフォメーションとも言える。

若い男性は、きっと、歩いている僕の背中から、「私は黒い箱の煙草を吸っていて、たまに道端に落としてしまいます」という自己紹介を感じ取ったに違いない。だからこそ、とっさに見ず知らずの男に声をかけ、親切にも煙草の箱を差し出してくれたのだろう。だが、若い男性が感じ取った情報は、残念ながらノイズだった。Natural Informationは、通常、正確に掴み取ることは難しい。

僕は年に一回あるかないかの確率で、混雑している電車の中で貧血や酸欠を起こすことがある。視界が真っ白になり、周囲の声が微かに聞こえる程度にしか意識が残らず、酷いときはほとんど気を失ってしまう。車両の中にある緊急停止ボタンが押される事態になったこともある。

予兆がきた段階で一旦電車を降りて駅のベンチで休んだり、電車内の壁際に寄りかかって深呼吸をしたり、迷惑を承知でその場にしゃがみ込んで回復を待ったりするのだけれど、有難い救いの手が差し伸べられたこともある。

以前、電車が一時停止を繰り返して次の駅までいつまで経って着きそうもないのに、タイミング悪く、「あ、これ、ちょっとまずいかも」という状態になってしまい、シャツの中で一滴の汗が背中をツーッとつたい落ち、吊革を握る手を強張らせたとき、「大丈夫ですか?席、どうぞ」と声をかけてくれた紳士がいた。

そのときは本当に嬉しくて、神様に出逢ったような気持ちになった。寝冷えや下痢で物凄くお腹が痛くてキュルキュルの波がピークのときに辿り着いたトイレのようなもので、人から受ける親切や優しさが如何に素晴らしいものかを再確認させられた。いま思えばあの紳士は、Natural Informationを素早く正確に把握し、それをすぐ行動に反映させられる能力を持っていたのだろう。

ここ最近、電車の中で、「おなかに赤ちゃんがいます」と書かれたキーホルダーを鞄にぶら下げている女性を見かけるようになった。マタニティマークと呼ばれるもので、隠れている部分の言葉を補足すると、「おなかに赤ちゃんがいますので、諸々ご配慮をお願い致します」という意思を持ったメッセージである。

このマークを、僕はとても気に入っていて、同じように「足を怪我しています」とか、「見た目はだいぶ高齢ですがまだまだ健康です」とか、周囲の配慮を促す表示がもっと沢山あってもいいのでは、と思うこともある。つまり、それぐらい、Natural Informationを正確に感じ取れる人は少ないような気がするからだ。

いちいち周囲に見えるように表示したりアナウンスしなければ伝わらない、という状況が良いものとは思わないけれど、どちらか分からず判断に迷い行動にうつせなかったり、誤った解釈をして親切のつもりが相手に不快感を与えてしまうよりは、余程スムーズに事が運ぶだろう。太っているだけなのか、おなかに赤ちゃんがいるのか、老け顔の40歳なのか、若々しい80歳なのか、といった判断材料をNatural Informationだけで正解を掴むことは困難だ。周囲を観察し、人工的なメッセージを見つけて対応するようにしつつ、Natural Informationを感じ取る訓練をしていけばいい。

ところで、疲れていると周りを見る余裕などなく、電車の席で眠りこけるか、スマートフォンをいじって時間が経つのを待ってしまうこともあるだろう。座席に腰掛け、寝ているわけでもないのに目を瞑ったり、本や携帯電話に目を落として、「もしかしたら周囲に着席を必要としている人がいるかもしれないけれど寝てたり読書に集中していたりしたので気付きませんでした」モードを発動させてしまうこともあるだろう。それはそれで仕方がない。たまには自分にも優しくしなければならない。

話が色々と展開して結局何が言いたいのかが散らばってしまったけれど、つまりは、ちゃんと状況を把握して、善意をもって的確に行動できるようになろう、ということだ。もしいつか、僕が黒いタバコの箱を拾ったら、周囲を観察し、落とし主を見つけ、「これ、落としましたよ」と言って差し出し、「ありがとうございます」と感謝されたい。

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